不動産屋のフリートーク 世界史
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不動産屋のフリートーク

不動産情報他・雑談・世界史とか

イギリスの歴史(前半)


    

この動画がわかりやすいです。

世界史ネタは また来年、暇なときに書きます。





  1. 2019/12/09(月) 10:04:23|
  2. 世界史
  3. | コメント:0

ヤルタ会談~

         ヤルタ会談

1945年2月、ローズベルト、チャーチル、スターリンがクリミア半島の
ヤルタで 第二次世界大戦の戦後処理について取り決めをしました。


そこで主に

・敗戦ドイツの4国管理
・ドイツ戦犯の裁判
・ドイツの非武装化
・ポーランドとユーゴの新政権樹立

そして秘密協定では

・ドイツ打倒後3か月以内のソ連の対日参戦
・南樺太・千島列島のソ連取得

などが決定しました。



この時の3者それぞれの心情は

スターリン「東ヨーロッパ・ドイツの半分はソ連がもらおう」

チャーチル「スターリンは信用できない」

ローズベルト「対日戦争に早くソ連も参加して欲しい」

でした。


この会議後ローズベルトは病死します。

これによって 副大統領から昇格して
第33代アメリカ大統領になったのがトルーマンでした。


          トルーマン


トルーマンはローズベルトとスターリンが結んだ密約
(ソ連の対日参戦)を大統領になって初めて知りました。




ソ連の協力によって日本を破ると戦後日本の領土を半分もっていかれるわけでした。

この頃からアメリカVSソ連の冷戦は始まっていて
トルーマンもスターリンのことを信用していませんでした。
(めっちゃ嫌ってました)

トルーマン「ソ連に日本の領土をとられるのはまずい アメリカの力で
       日本をやっつけないと・・」でした。

5月7日のドイツ無条件降伏後の3か月後は間もなくせまってきていました。


そして、7月16日アメリカ国内で人類最初の核実験が成功します。

アメリカは日本を早期降伏させるのにソ連の力を必要としなくなりました。


そして 8月6日、広島・ 8月9日、長崎に原爆が投下され
8月8日、日ソ中立条約を破ってソ連は満州・朝鮮・樺太へ侵入します。





現在の北方領土問題や核兵器禁止条約、憲法改正(9条)などの
問題について語るなら この辺の歴史は勉強しておきましょう。


おわり

















  1. 2019/09/06(金) 12:28:13|
  2. 世界史
  3. | コメント:0

関税同盟

  ドイツ関税


1815年ウィーン体制後のドイツは 35の君主国と
4自由都市からなる緩やかな連邦国家でした。

しかし、この体制では中世以来の国内関税が残っていたため
イギリスなどの安価な輸入製品の流入を防ぐことができませんでした。

これに対抗するために出来たのが関税同盟です。


この同盟は まず北部のプロイセンが中心となって結成され
後に中部はザクセン等 南部はバイエルンが中心となり
3関税同盟が結成され そしてこの3関税同盟の結合が進み 
1834年 ドイツ関税同盟が発足しました。

関税同盟で経済的に一体化した国々を のちに
ビスマルク(またはヴィルヘルム1世?)が統一してできたのが
ドイツ帝国です。




戦争南北


イギリスから独立したアメリカ合衆国も、州とよばれ
小国家の連合体でした。


温暖な南部では 地主がイギリスへの綿花輸出拡大を
望んで 自由貿易を主張しました。


反対に 北部ではイギリス製品の流入を嫌う産業資本家が
保護主義を求め ワシントンの中央政府が一括して関税を
コントロールすべきだと主張します。

これが原因(詳細はカット)で起きたのが南北戦争です。


結果、北部の勝利によってアメリカは保護貿易に転じるわけです。




つまり ドイツもアメリカも輸入品に共通関税をかけることで
国家統一できたわけです。

発展途上国が先進国に転換する過程においては
保護主義の採用も効果的な場合もあるわけです。



現在 米中貿易戦争、イギリスのEU離脱問題などの報道をみると
「貿易自由化=善」で「保護貿易=悪」という主張が多い気がします。

これは 極端な保護主義が2つの大戦を招いた
ことが原因だからです。


ですが 保護主義も一時的であれば 
その国のおかれている状況(外交的立場等)により
必要な場合もあるのです。


おわり


この文章、大学生のレポートとかに どうぞ使って。





  1. 2019/06/24(月) 14:32:29|
  2. 世界史
  3. | コメント:0

ジャガイモ飢饉

北アイルランド



アイルランドは17世紀にクロムウェルに征服されて以降 イギリスの植民地でした。

1801年にイギリスに併合されましたが アイルランドでは、宗教の自由と
政治的自治を求めた民族運動が盛んでした。


とそこに 1845年ヨーロッパからジャガイモに取り付く奇妙な菌が上陸。

その菌はたちまちアイルランド全土に広がり 大飢饉をもたらしました。

これが原因で 餓死者やアメリカ等への大量移民が発生し
アイルランドの人口は1/4まで激減しました。


と ここまでが教科書に書いてある「ジャガイモ飢饉」の説明です。


しかし 当時 全体的な天候不順ではなかったため、
ジャガイモ以外の作物は普通にとれていてイギリスへの
畜産物や穀物の輸出はむしろ「増えていた」のだそうです。


本来ならば疫病の発生がわかった時点で、イギリスへの食料輸出を止めて、
これらの食料を地元消費にまわせば飢饉を回避できたはずなのに、
イギリス政府はその手段をとりませんでした。

政治家は「貧民たちに天罰が下った」という主旨の発言があるなど
アイルランド人に対する差別意識があったわけです。


なのでイギリス政府は 「アイルランド貧民救済」という政策を
とることに躊躇しました。


さらに、領主による「強制退去」が加わってしまったことが要因で
移民の大流出となりました。


つまり、ジャガイモ飢饉は天災ではなく人災だったのです。


このことがアイルランド人のイギリス本土に対する恨み辛みの
原因となり 20世紀の北アイルランド問題へとつながっていくわけです。


この問題は その後、イギリス・アイルランド両国がEUに加盟することで
収束していったのです。



現在 イギリスがEU離脱問題でグダグダやっているのは
この北アイルランド問題が再発する可能性があるからです。



19世紀のジャガイモ飢饉がきっかけなのです。




















  1. 2019/04/15(月) 11:28:07|
  2. 世界史
  3. | コメント:0

オランダと昔の大阪は少し似ていたかも

   フェルメール


現在、大阪市立美術館で展覧会が開催される等 世間では
フェルメール(1632~1675)ブームのようです。

ちなみに私は 絵画に対する知識も関心もありません。


17世紀後半、フェルメールが活躍した時代のオランダは
ヨーロッパの経済と文化の中心地でした。

いわゆる覇権国家です。

当時のオランダの強みは海運業でした。
イングランドやバルト海とは目と鼻の先であったため 
その立地を生かし「中継貿易」で発展しました。

オランダが世界に展開した商船の総トン数は
同じく海洋国として世界をまたにかけていた
スペイン、フランス、イングランド3国を合わせたものより
多かったそうです。

なので フェルメールのような巨匠たちが描く対象は
王侯貴族とかではなく 経済をささえる商人(そのメイドとか)たち
が多かったわけです。

もう一つ オランダが発展した理由に キリスト教カルヴァン派の
普及があります。


キリスト教カトリックの世界では商売や金儲けは「賤しい」とする
考えが強かったのです。

しかし、カルヴァン派はこのような考え方をもたず
「信仰は信仰、商売は商売」という考えでした。

宗教的寛容という考えがあったわけです。



そして「天下の台所」と呼ばれていた江戸時代の大阪も似たようなもんでした。

商人中心の街で
「政治は政治 商売は商売」という感じでした。


懐徳堂等の学問所なんかも豪商がスポンサーでした。



だから現在 大阪でもフェルメールが人気なのです。





かもしれません???



おわり















  1. 2019/03/05(火) 13:08:05|
  2. 世界史
  3. | コメント:0

ロシアの「タタールのくびき」に学ぶ

          のくびき「タタール



モンゴル政権のキプチャクハン国が1243年に建国されるとロシアは
240年もの間その支配下に置かれました。

この時代のモンゴル人による支配のことを「タタールのくびき」と呼んでいます。

タタールはモンゴル人を含む中央アジアの遊牧民の異称。
くびきは馬や牛をつなぐための道具です。

つまりロシア(モスクは大公国)はモンゴル国家に
首根っこをつかまれ生殺与奪権を握られていたわけです。
(そこまで厳しくなかった説有)

現在であればサラリーマンの上司、
我々であれば超得意先との関係がこれににあたるでしょう。


これがロシア人にはコンプレックスとなり
そして飛躍するバネにもなりました。


この支配に モスクワ大公国は腐らず まじめにキプチャクハン国
の手足となって動き 信用を勝ちとり自立します。

まさにビジネスマンの鏡です。

その後領土を拡大していき 15世紀にロシアを統合します。
そして 東ローマ帝国から後継者を意味する「ツアーリ」
の称号を得るまでになります。

1480年、モンゴル勢力から完全な独立を遂げ
「タタールのくびき」からも解放されました。


このプロセス(詳細はカットします)は 
我々も 生きていく参考になります。











  1. 2019/02/28(木) 16:18:14|
  2. 世界史
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こん棒は持っているけど

     
こん棒外交




「穏やかな口調に加えて、こん棒を持っていけ。そうすればうまくいく」

これは第26代アメリカ大統領 セオドア=ルーズベルトの言った言葉です。

彼は、海上兵力を背景に、ラテン=アメリカ地域でのアメリカの権益を確保し、
ヨーロッパ諸国の干渉を排除する外交政策をとりました。

代表的なものに 1903年、パナマ地峡地帯に介入し、
コロンビアからパナマ共和国を独立させ 
パナマ運河建設を開始したことがあげられます。


そして20世紀、アメリカは覇権国家になりました。


現在のアメリカの外交政策、基本的にはこん棒外交の
スタンスが受け継がれています。


トランプ大統領が、北朝鮮にとった対応や
中国との貿易戦争、INF条約の破棄なんかは
すべて こん棒外交みたいなもんです。

しかし、私からみるとトランプ大統領は
中国、北朝鮮、ロシアからは少しナメられているような
気がします。(主観です)


こん棒をふりまわしているだけなのが バレているからです。
(主観です)


穏やかな口調が大事なのです。


おわり






  1. 2019/02/03(日) 16:51:28|
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アヘン戦争

アヘン戦争


西洋が古来、東洋から欲しかったものは お茶と香辛料でした。
当時、このお茶と陶磁器等の国際競争力のある商品があった中国は 
経済大国(ヨーロッパに対し貿易黒字国)でした。

18世紀、産業革命が進んだイギリスでは工場が増え
そこで働く人々に人気だっだのが紅茶、そしてその需要が急増したのです。

イギリスは紅茶を中国から輸入しました
が、反対に輸出する商品を持ってなかったので 
対中貿易赤字が増大したわけです。

そこでイギリスが目をつけたのが 植民地、インドで栽培したアヘンでした。
そして この麻薬であるアヘンを密輸しました。

この事態を重くみた中国(清)政府は 禁輸令を出しますが
役人が賄賂に慣らされ アヘンの輸入量は増大します。
結果、銀の流出が増加しインフレーションがおこったのです。

そこで 中国政府は 広州(貿易港があった)に林則徐を送り込み
アヘンを没収し焼き払いました。

これにブチ切れたイギリスがしかけた戦争が アヘン戦争です。

その後、アロー戦争、日清戦争を経て 列強諸国による
中国の分割が始まったのです。


中国はこれを根に持っています。 現在、共産党大会などで
「中華民族の偉大な復興・・」と謳うのは アヘン戦争以前への復興です。



そして 米中の貿易戦争を含む覇権争い。
中国がアメリカに対し簡単には折れないのは
この歴史があるからです。






  1. 2018/12/14(金) 11:23:23|
  2. 世界史
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草の根運動が行き過ぎるとヤバイわけ


      テニスコートの誓い


18世紀後半のフランスは イギリスとの植民地戦争や
アメリカ独立戦争支援等で財政が悪化し赤字が税収の約9倍に達していました。


財政改革を断行するには 当時 税金が免除されていた特権階級
(聖職者・貴族)への課税が不可欠でした。

これに対する第3身分(平民2600万人)の反発が
フランス革命の始まりでした。

当初、革命のリーダー、ラファイエットやミラボーは
「自由・平等・博愛」をシンボルとし 革命も立憲君主制
を目指したものでした。
 
が 時間が経つにつれ 革命もだんだん過激になっていきます。
そしてついに 国王ルイ16世とその妻マリーアントワネットを
処刑したのです。

その後、ロべスピエールが過激なジャコパン派を率いて登場しました。
ロベスピエールは最高権力を握ると穏健派でも政敵であれば
どんどん処刑し 恐怖政治をおこないました。
貴族だけでなく政敵であれば一般民衆も処刑されました。

やり過ぎたロベスピエールは 結局クーデターで殺されます。

このゴタゴタを治めたのがナポレオンです。

がしかし その後フランスは王政にもどりまた革命がおきて
帝政になり その後共和制になりました(詳細は省略)。
共和制になるまで多くの血が流れたわけです。


これに対し 立憲君主制を(サッサト)確率した
イギリスでは血は流れませんでした。




現在、パリなどフランス各地ではマクロン政権に抗議する
大規模なデモが実施され その人数も増えて
内容もだんだん過激になっているようです。

多くのメディアはこういう場合反権力側につくので
ハッキリ言いませんが 特にフランス等のリベラルな国で
草の根運動やデモが過激になるとけっこうヤバイのです。

その後、独裁的なリーダーがでてくるかもしれません。



  1. 2018/12/09(日) 15:56:55|
  2. 世界史
  3. | コメント:0
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大阪市淀川区の不動産屋です。 不動産・世界史・ニュース・書評とかを書いています。代表者:坂元稔 出身:尼崎市

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