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カテゴリ世界史 1/6

ヤルタ会談~

         1945年2月、ローズベルト、チャーチル、スターリンがクリミア半島のヤルタで 第二次世界大戦の戦後処理について取り決めをしました。そこで主に・敗戦ドイツの4国管理・ドイツ戦犯の裁判・ドイツの非武装化・ポーランドとユーゴの新政権樹立そして秘密協定では・ドイツ打倒後3か月以内のソ連の対日参戦・南樺太・千島列島のソ連取得などが決定しました。この時の3者それぞれの心情はスターリン「東ヨーロッ...

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関税同盟

  1815年ウィーン体制後のドイツは 35の君主国と4自由都市からなる緩やかな連邦国家でした。しかし、この体制では中世以来の国内関税が残っていたためイギリスなどの安価な輸入製品の流入を防ぐことができませんでした。これに対抗するために出来たのが関税同盟です。この同盟は まず北部のプロイセンが中心となって結成され後に中部はザクセン等 南部はバイエルンが中心となり3関税同盟が結成され そしてこの3関税同盟の結...

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ジャガイモ飢饉

アイルランドは17世紀にクロムウェルに征服されて以降 イギリスの植民地でした。1801年にイギリスに併合されましたが アイルランドでは、宗教の自由と政治的自治を求めた民族運動が盛んでした。とそこに 1845年ヨーロッパからジャガイモに取り付く奇妙な菌が上陸。その菌はたちまちアイルランド全土に広がり 大飢饉をもたらしました。これが原因で 餓死者やアメリカ等への大量移民が発生しアイルランドの人口は1/4...

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オランダと昔の大阪は少し似ていたかも

   現在、大阪市立美術館で展覧会が開催される等 世間ではフェルメール(1632~1675)ブームのようです。ちなみに私は 絵画に対する知識も関心もありません。17世紀後半、フェルメールが活躍した時代のオランダはヨーロッパの経済と文化の中心地でした。いわゆる覇権国家です。当時のオランダの強みは海運業でした。イングランドやバルト海とは目と鼻の先であったため その立地を生かし「中継貿易」で発展しました。オラン...

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ロシアの「タタールのくびき」に学ぶ

          モンゴル政権のキプチャクハン国が1243年に建国されるとロシアは240年もの間その支配下に置かれました。この時代のモンゴル人による支配のことを「タタールのくびき」と呼んでいます。タタールはモンゴル人を含む中央アジアの遊牧民の異称。くびきは馬や牛をつなぐための道具です。つまりロシア(モスクは大公国)はモンゴル国家に首根っこをつかまれ生殺与奪権を握られていたわけです。(そこまで厳しくな...

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こん棒は持っているけど

     「穏やかな口調に加えて、こん棒を持っていけ。そうすればうまくいく」これは第26代アメリカ大統領 セオドア=ルーズベルトの言った言葉です。彼は、海上兵力を背景に、ラテン=アメリカ地域でのアメリカの権益を確保し、ヨーロッパ諸国の干渉を排除する外交政策をとりました。代表的なものに 1903年、パナマ地峡地帯に介入し、コロンビアからパナマ共和国を独立させ パナマ運河建設を開始したことがあげられま...

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アヘン戦争

西洋が古来、東洋から欲しかったものは お茶と香辛料でした。当時、このお茶と陶磁器等の国際競争力のある商品があった中国は 経済大国(ヨーロッパに対し貿易黒字国)でした。18世紀、産業革命が進んだイギリスでは工場が増えそこで働く人々に人気だっだのが紅茶、そしてその需要が急増したのです。イギリスは紅茶を中国から輸入しましたが、反対に輸出する商品を持ってなかったので 対中貿易赤字が増大したわけです。そこで...

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草の根運動が行き過ぎるとヤバイわけ

      18世紀後半のフランスは イギリスとの植民地戦争やアメリカ独立戦争支援等で財政が悪化し赤字が税収の約9倍に達していました。財政改革を断行するには 当時 税金が免除されていた特権階級(聖職者・貴族)への課税が不可欠でした。これに対する第3身分(平民2600万人)の反発がフランス革命の始まりでした。当初、革命のリーダー、ラファイエットやミラボーは「自由・平等・博愛」をシンボルとし 革命も立...

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大陸封鎖令

                                 1806年、ナポレオン1世は、イギリスに経済的打撃を与えるため「イギリス諸島とのあらゆる商取引・通信を禁止する。」と ヨーロッパ諸国(大陸諸国)に対し大陸封鎖令を出しました。これはナポレオンがイギリスをたたくのと同時にヨーロッパ市場の独占を目指したものでした。当時、いち早く産業革命に成功したイギリスは「世界の工場」として工業力を持つ...

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