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カテゴリ世界史 1/5

アヘン戦争

西洋が古来、東洋から欲しかったものは お茶と香辛料でした。当時、このお茶と陶磁器等の国際競争力のある商品があった中国は 経済大国(ヨーロッパに対し貿易黒字国)でした。18世紀、産業革命が進んだイギリスでは工場が増えそこで働く人々に人気だっだのが紅茶、そしてその需要が急増したのです。イギリスは紅茶を中国から輸入しましたが、反対に輸出する商品を持ってなかったので 対中貿易赤字が増大したわけです。そこで...

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草の根運動が行き過ぎるとヤバイわけ

      18世紀後半のフランスは イギリスとの植民地戦争やアメリカ独立戦争支援等で財政が悪化し赤字が税収の約9倍に達していました。財政改革を断行するには 当時 税金が免除されていた特権階級(聖職者・貴族)への課税が不可欠でした。これに対する第3身分(平民2600万人)の反発がフランス革命の始まりでした。当初、革命のリーダー、ラファイエットやミラボーは「自由・平等・博愛」をシンボルとし 革命も立...

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大陸封鎖令

                                 1806年、ナポレオン1世は、イギリスに経済的打撃を与えるため「イギリス諸島とのあらゆる商取引・通信を禁止する。」と ヨーロッパ諸国(大陸諸国)に対し大陸封鎖令を出しました。これはナポレオンがイギリスをたたくのと同時にヨーロッパ市場の独占を目指したものでした。当時、いち早く産業革命に成功したイギリスは「世界の工場」として工業力を持つ...

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アングロ・イラニアン石油会社

先日、テレビの金曜ロードショーで放映された映画「海賊と呼ばれた男」。原作は百田尚樹氏のベストセラー小説です。モデルは 出光興産(株)創業者「出光佐三」です。原作の小説は本屋大賞を受賞した時に読んでいたのですが映画は見ていませんでした。戦後のアメリカ石油資本VS田岡商店(出光興産)の攻防がリアルに描かれ映画も小説同様面白かったです。ですが テレビなのでカットされていたのか「イランに自ら石油を買付に行...

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2者択一で間違える人

進路の選択から今日の昼ご飯まで 我々は2者択一(最終的にも含む)で決定しないといけない場面がよくあります。それらの場合 あとから「そっちを選ぶんではなかった」や人のをみて「そっちではないだろ」と思うことはよくあります。また 仕事であればその選択を間違えて 取り返しのつかない大ごとになったりもします。歴史上の人物が選択した間違いを 後から正すのは基本的にはルール違反で誰でも言えます。が それにしても...

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病原菌

前回のブログで この本 銃・病原菌・鉄/ジャレド・ダイヤモンド著の中身を引用してブログに書くと言いましたが、かなりページ数が多かったので  やめます。 忙しい方も自分で読んでください。なので 私が特に印象に残った箇所だけ書きます。1519年、コルテスは人口数百万ので勇猛果敢な軍隊を擁するアステカ帝国を征服するために、600人のスペイン兵士とともにメキシコ海岸に降りたちました。結局 あっという間(1...

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多くのスポーツがイギリスで始まった理由

サッカー、ラグビー、ボート、 競馬、ゴルフ テニス、ホッケー、バドミントン等多くのスポーツがイギリスで生まれ ルールが定められ 世界に普及していきました。これはスポーツが広まった19世紀、イギリスが世界に先駆け 市民革命と産業革命を成功させ市民社会を築きあげたことと 世界に多くの植民地を獲得し大英帝国を樹立したことが理由です。パクス・ブリタニカと言われ 覇権国家イギリスの発展と共にそれらスポーツは世...

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ハノーヴァー朝

1714年にアン女王が死去、後継ぎがいなかったため遠い親戚であった ジョージ1世がハノーヴァー選帝侯(ドイツ諸侯)兼英国王という肩書でロンドンにやってきます。ジョージ1世はドイツ人で 英語もほとんど話せませんでした。すでにこの時代から国政は 議会が殆ど行っていたため「国王は君臨すれど統治せず」でした。なので問題ありませんでした。また、上記家系図からもわかるようにその後も ヴィクトリア女王なんかはド...

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ウィーン会議

ナポレオン戦争終結後、1814年 戦後の体制を取り決めるためヨーロパ各国の代表が集まり ウィーン会議が開催されました。この時の主要国は イギリス・オーストリア・ロシア・プロイセンでした。(とフランスが当時ヨーロッパの大国)会議をを取り仕切ったのがオーストリアの外相、メッテルニヒでした。しかし、各国の主張を調整するのが難しく 舞踏会ばかり開いていたため「会議は踊る、されど進まず」と揶揄されるほど 会...

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