
大正後期~昭和初期、大阪市は人口211万人(日本1位・世界6位)に達し、
都市開発等も 現東京23区をしのぐ発展をとげたので
「大大阪」時代と呼ばれていました。
この時代の 大阪市の象徴的な事業は
・御堂筋の拡幅工事(6m~)
・地下鉄御堂筋線の開通
・大阪城天守閣の再建
・淀屋橋・大阪駅周辺の区画整理事業
・大阪市民病院、現)大阪市立大学、大阪市中央卸売市場などの開設
その他いろいろです。
これらの都市開発事業は大阪市が主導で行いました。
戦後、大規模な都市開発は 変わって大阪府主導で実施されました。
・千里ニュータウンの開発
・大阪万博開催に伴う都市整備
・泉北ニュータウンの開発
・関西国際空港の建設、それに伴う都市整備
などなど
がしかし
高度成長期以降 大阪市の人口は横浜市に抜かれ
大企業の本社も東京へと移転していきました。
大阪市側(職員・市議)には少なからず
この「大大阪」時代のDNAが残っているのでしょう。
心情は「都市開発は俺たちがやったほうが うまくいくんちゃう」でしょう。
これが 現在、府・市の2重行政の根本的な原因になっているんでしょう。
たぶん・・・
- 2018/01/28(日) 11:33:36|
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