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マリア・テレジア

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18世紀の中頃、オーストリア継承戦争で奪われた シュレジエン地方を
奪い返すため オーストリア女帝マリア・テレジアは大改革を打ちました。


「今にみてなさいフリードリッヒ2世。プロセイン王の座から
排除してあげるわ」



オーストリア(当時は超大国)のような多民族国家は強力な中央集権国家が
必要だとマリア・テレジアは考え 次々に国内の改革を実行しました。


まず、役立たずの大臣たちの首を切り、官僚制度の改革・裁判制度改革・
軍隊の改革・医療制度改革・住民調査・人材の抜擢などです。
(ちなみにマリアテレジアは16人の子供を産んでいます。)
(教育熱心でもあったようです。)



この時抜擢さてたのが カウニッツ伯爵。大変頭の切れる人のようで
フランスとの盟約をかわしプロセインを打つ準備をしました。


この盟約の中に、マリア・テレジアの末娘、マリー・アントワネットと
ルイ16世との婚約がありました。



そして 七年戦争(Seven Years War)。
オーストリア・フランス・ロシア・スペイン対プロセイン・イギリス。

結果 ベルリンに立てこもったフリードリッヒ2世を あと一歩まで
追い詰めましたが、ロシアの女帝が死去したおかげで フリードリッヒ2世
は助かりました。(世界史でよくあるパターンです)


「オーストリアにマリア・テレジアあり」という名声を確立し
ハプスブルグ家でも類をみない女帝として歴史に名を残しました。




一方、最近テレビで見なくなった 東京都のユリコ・テレジア。 
豊洲市場問題、まだちょっと長引きそうです。

 
以上こまった時の 世界史ネタでした。      おわり


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