女帝 エカチェリーナ2世

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皇帝教皇主義(国のトップ=キリスト教のトップ)をビザンツ帝国
から引き継ぎ 皇帝が「ツアーリ」の称号を名乗ったのがロシア帝国。


これによりロシア皇帝は「権威=権力」を手にいれました。


この歴史認識が国民にもあるからか ロシアではプーチンのような
強健な政治家が人気があります。



そのプーチンよりも絶対怖かったのが エカチェリーナ2世(たぶん)。




ドイツの地方貴族の娘、ロシア皇帝に嫁いだエカチェリーナ2世は
頭脳明晰。母国ドイツ語以外にフランス語・ラテン語・ギリシャ語
そして嫁ぎ先のロシア語をマスターしていました。


一方 旦那ピヨートル3世はかなりのバカ殿。
エカチェリーナ2世はクーデターにより旦那を失脚させ
(エカチェリーナが殺した説有り)皇帝の座につきました。



この時代からロシアは不凍港をめざします。

まず、エカチェリーナ2世はポーランド分割の主導権を握り
地図上からこの国を消し去ります。

露土戦争では オスマントルコの属国、クリム・ハン国の領土をとり
あのクリミア半島に軍艦の要塞を築きました。

負けはしましたが 当時強力な海軍をもつスウェーデンに戦争も
仕掛けてます。

日本史の「1792年ロシアのラックスマン根室に来航。日本に開港せまる」も
エカチェリーナ2世の指示です。


愛人も数多くかかえ 名実ともに最強の女帝となりました。


一方内政では 当時不十分だった 地方行政機関を設置したり 
全国に小学校や医療機関を設置するなど 国民にとってやさしい政策も
打ちました。


いずれにせよ ロシアを2流国からヨーローパの強国へとしていったのが
エカチェリーナ2世です。

そしてロシアでは今も人気です。


ヨーロッパの歴史では 時々こういったカリスマ性のある女性の王様や
政治家が出現します。

日本史では 古代以外ではあまり出てきません。


現在、日本で地方を含め女性議員が少ない理由の一つは
日本人にこういった女帝による支配の歴史がないからかもしれません。


おわり

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