オランダ独立戦争

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中世以降、毛織物工業が盛んであったライン川の河口一帯は
低地諸州(ネーデルラント)と呼ばれていました。

もともとこの地域の人は働き者でした。

宗教改革により「蓄財は良いことだ」とするキリスト教カルヴァン派が入り
さらに商業・海運が発展していきました。

公式は 昔の大阪-ガラの悪さ=ネーデルラント  です。


しかし 残念なことに宗主国はバリバリのカトリック国 スペイン。
王がフェリペ2世に変わるとカルヴァン派への弾圧は
厳しくなりました。

これにたまりかねて 立ち上がったのがオラニエム公ウィレム。
北部7州でユトレヒト同盟を結びネーデルラント連邦共和国を
立ち上げ決起しました。これが現在のオランダ。


しかし 相手は当時世界最強のスペイン。

当然 苦戦を強いられますが
オランダ軍は自ら堤防を決壊させ スペイン軍を水攻めにしたり、
停泊中の何百隻ものスペイン艦隊に 火薬を満タンにつんだ
無人の船を突っ込ませる等して 善戦します。
(これをやったのは 海乞食党。ジャックスパロウ並みの海賊です)

そこにイギリスのエリザベス1世が参戦。オランダに味方しました。

フェリペ2世はブチ切れ スペイン無敵艦隊(アルマダ)をイギリスに
送り込みます。 

これをドーバ海峡で迎え撃ったのは イギリスの小型船でした。


1588年アルマダの海戦。  結果イギリスの勝利。


これをきっかけに 世界の海上覇権は スペイン・ポルトガルからイギリス・
オランダへと移っていきました。

実は日本でもスペイン・ポルトガル(途中から国王兼務)対オランダ・イギリスの
戦いがありました。

江戸時代 オランダ船リーフで号に乗ってやってくるイギリス人と
オランダ人が幕府の外交顧問になります。ウィリアムアダムスとヤン・ヨーステン。


その後 ポルトガル船の入航禁止から鎖国が始まりました。




このカルヴァン派がピューリタンとなってイギリス経由で アメリカにわたります。
福音派。だからアメリカは航行の自由を阻害すると怒るんです。
(これは 個人的意見です。)

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