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樺太・千島交換条約

         樺太



1875(明治8)年、日本とロシアの間で成立した条約。
内容:樺太全土をロシア領、千島列島列島を日本領とした。

これが樺太・千島交換条約の教科書なんかで書かれている説明です。


しかしこれだけでは 
・ナゼこの条約が結ばれたのか?
・時代背景はなんだったのか?

なんかがわかりません。



樺太は18世紀末から、ロシア人と日本人が移住するようになってましたが
当初は両者が共存していました。そして 1855年の日露和親条約で日露双方の
雑居地とされましたが、その後も紛争が絶えなかった状態でした。
そして問題をかかえたまま 明治政府が誕生したわけです。

で 条約成立までのポイントは大きく以下3点。


・クリミア戦争

1953年 ロシアは東地中海への進出を試み オスマン帝国と
戦争をします。 結果は敗戦。
ロシアはヨーロッパで負けると極東へ向かう(または反対)
のが鉄則なので真剣に樺太をとりにきたわけです。



・イギリスの入れ知恵があった

当時の英国は「太陽の沈まない国」と称される世界一の海軍国家でした。
海洋戦略に長けた英国は、ロシア海軍が将来太平洋に進出することを懸念し、
千島列島を日本に領有させることでオホーツク海に封じ込めようと考えたわけです。

このことを日本にアドバイスしたのです。

当時はロシアは ランドパワーの国だったので 当時そこまで小さい島々を
重要視してなかったのでしょう。
第二次世界大戦後に その重要性が分かったのです。
だから取りにきたわけです。


・黒田清隆

当時 北海道開拓次官だった黒田清隆は「本土から遠く離れた樺太をロシアに譲り、
北海道開拓に全力を注ぐべき、ロシアがクリミア戦争に負けたとはいえ、
日本にとっては政治、戦力、経済全てにおいて強国です。」と主張します。

政府で権力を握りつつあったこともありこの黒田案が優勢となりました。

イギリスが黒田に入れ知恵したのかもしれません。


以上のような経緯でこの条約は締結されたのです。

明治政府も強国ロシアと いかに戦争しないで
国益を守るかを考えてのことだったのです。


最近問題になっている国会議員の
「戦争せずに島を取り返す・・・」発言なんかは
明治時代の方が言えなかったでしょう。


おわり




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