オスマン帝国

15から17世紀、1000年以上続いたビザンツ帝国を滅ぼし
名門、ハプスブルグ家を二度にわたるウィーン包囲により
追いつめたのがオスマン帝国でした。
当時、このウィーン包囲は「トルコの脅威」として全ての西欧諸国に
印象づけました。
そのオスマン帝国は全盛期、バルカン半島・東欧の一部・北アフリカ・
シリア・エジプトに領土を拡大し、メッカ・メディナを管理下に
収め(上記地図)イスラム世界での主導的立場を確保しました。
「なんで こんなに強かったのか?」
後に モーツアルトやベートーべンが「トルコ行進曲」を作曲したのも
第一次世界大戦後、中東のイスラム諸国が荒れたのも
オスマン帝国が最強だったからでしょう。(たぶん・・・)
オスマン帝国は多民族・他宗教国家でその一番上に
トルコ人が立つ、いわゆる征服王朝でした。
人材登用としてオスマン帝国の官僚や軍隊の要員を
強制的に徴用する制度がありました。
具体的には、キリスト教徒の子弟をイスラーム教に改宗させ
教育・訓練を施し、要職に登用する方法でした。
その中でできたのが直属の常備軍、イェニチェリです。
これが強かった。
一方、この時代、ヨーロパ各国の軍隊は王様のお雇い兵、傭兵でした。
この傭兵は 王様に各国からお金で雇われ戦争に行くので
国を守るという意識はあまりなかったようです。
だから西欧の国々は なかなかオスマン帝国に勝てなかった。
が 海軍はそうでもなかった。
あくまでも 私、個人の説です。
間違えているかもしれません。
おわり