荘園制度を豊中市の場合で説明してみる


豊中市の史跡で春日大社南郷目代今西氏屋敷という場所があります。
ここは中世に荘園経営を担った荘官(目代)の屋敷です。

豊中市は 一応私の重点エリア(不動産)なので
 「寄進地系荘園」の制度を豊中の中学生にもわかるよう説明してみます。


この時代の土地は原則、開発した当事者(開発領主)のものでした。
(743年:墾田永年私財法)


しかし、時代が進むにつれこの土地を奪おうとするものがでてきます。

奪うのは 主に国衙(地方の役人)でした。
具体的には地方貴族(土着した貴族・武士など)
開発した土地は本来国のもの」という理屈からです。



そこで開発領主(の子孫)は 中央の有力貴族に
「年貢を送りますので土地を守ってください」と頼むわけです。
このことを「土地を寄進する」といいます。

さらに時代が進むと この中央貴族も自分強い立場の人に
土地を寄進する場合があります。

このように最終的に土地を寄進される人たちを本家
差し出す側を領家といいます。

領家は主に貴族・寺社などで 本家は天皇家・摂関家・大寺社
(最高権力者達)がなります。

領家・本家とも京にいるので 現地を管理する荘官、役人(貴族など)が必要です。

この時 派遣された役人を目代、預所といい 上記豊中の荘園、 垂水西牧の場合だと
今西氏がそれにあたります。

この場合だと本家が春日大社、 領家が摂関家(近衛家)になるわけです。

1183年に寄進されたのは この藤原氏(近衛家)は平家側だったので
だんだん力も弱くなってきたからでしょう。







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